2015年07月26日

メモの書き残し その4(一旦終了)

DWEのアラカルトレッスンから帰ってきました。大量の洗濯物が一気に乾いており、今日はさぞかし暑かったに違いないと感じました。3才から始めたABCクラブまでで、一旦区切りたいと思います。

ABCクラブとは、DWEユーザーさんで他の方にも教えたい方がなられているようで、先生もバリバリの現役ユーザーでした。先生の子供も自宅におり、どのような取り組みをされているのか、DVDはどのようなものを見せているのかといったDWEの指導以外のことも沢山教えてくださいました。中でもTACの宿題を毎週出し、レッスン前のチェックでTACに色つきシールを貼って、親にフィードバックして下さいました。これで、TACに全部合格シールがつくまで管理できるようになりました。また、DWEの本当の?進め方も指導してくださり、卒業までどういうステップを踏むと良いのか、DWE以外にはどういう取り組みが良いのか(例えばDWEと同じディズニーが出てくるミッキークラブハウスの視聴を加えるなど)色々なアドアイスをいただきました。また、未だにうちでは実施したことがなかったキャッププログラムの開始時期や、スピード感やスカラに対する指導(この先生のお子さんは、その後、みごとスカラ授賞されました)などなど、普通にやっていては分からない情報を沢山いただきました。

ここからは、論文重視からDWE現役ユーザーアドバイスに従って進めました。4才・5才までお世話になりました。
もしABCクラブに行っていなかったら、DWEの進行は全然違ったものになっていたと思います。
このときのクラスは異常にレベルが高かったらしく、上の年齢クラスよりずっと進んでいると良く聞きました。これも、うちの子だけでなく、当時一緒に通っていたお友達の影響が大きいと思います。改めてこの時期の皆様にお礼いたします。

6才からは、このABCクラブも物足りなく感じ始め、教室も辞めて私独自の理論で取り組みました。
その内容は現在進行中なので、落ち着いてからまとめたいと思います。
今は、DWE教材の最終仕上げ(卒業していてもやることはあるのです)もしており、数年したら違う路線に進んでいると思います。DWEユーザーである間に、色々な情報交換をしたいと考えています。

どこかで皆様にお会いすると思いますので、その際にはよろしくお願いいたします。m(__)m




  

2015年07月26日

メモの書き残し その3

続きです。メモがあったのですが、参考文献ばかりでしたので
取り組みは思い出して記載しています。

海外の論文は大学図書館で借りたので何を見たのかは不明。
日本のものだと、例えば [放送研究と調査 jan 2010] にて検索して出てくるもので、
乳幼児とメディアをめぐる 海外の研究動向を参考にしたようです。今となっては新しい研究がされていると思いますが、バックグラウンドテレビが与える影響などを参考にしたようです。

さて、米国でも家内はボストンにある有名な大学に行ったので、1日10時間預かりのトドラークラスがある保育園は、ブライトホライズンになります。ブライトホライズンの価格はいろんなところに出ているのですが、信じられない価格となっております。5分お迎えが遅れただけで12$の追加です。
このブライトホライズンに入れたのです。
しかし、それまでダブルインカムだったのが収入が片方になるし、家内の住居費や学費なども考えると、継続不可能であることがわかりました。
また、子供も嫌だと言い出したのです。みんな靴を脱がない! みんなデブだからぶつかると危ない! などなど。
更にこれが一番の理由ですが、日本語が話せなくなりました。

そんなこともあってか、たった2ヶ月で子供だけが日本に戻り、私と二人暮らしになりました。
親一人で子供の世話をしながら育てるのは大変でしたが、それを書くと焦点がボケるので割愛します。
ブライトホライズンは日本の保育園とは異なり、朝から晩まで徹底的に教育します。ですから、プチ留学といったところでしょうか?
驚くことに、本も読めるし文も書けている。完璧な教育をしてくれたようです。
そして、これを維持する路線に切り替えました。ただし、日本語が話せなくなっているので、毎日十冊以上の日本語絵本を読み聞かせました。

ブライトホライズンではフォニックス中心だったと知り、DVDはビットウィーンザライオンズとエレクトリックカンパニーに変更です。ただし、そればかりではつまらないのでオーストラリアHi-5とカイユ、レイジータウンをたぶん、世界中のオークションで全部取り寄せました。スゴい枚数です。数えられません。
DWEはABCクラブを開始しました。ただ、このABCクラブが将来のスゴい転機になったことを当時は気づきませんでした。
ABCクラブの先生との出会いが、奇跡を産んでいったのです。

今日は昼休みしか更新できないので、ここまでにします。


  

2015年07月26日

メモの書き残し その2

せっかく寝られたと思ったら、近所の老人ホームに救急車がきて目が覚めてしまった。メモは手元にないけど、もう少し記載することにしました。

結果的にうちの子は帰国子女ではありません。話が長くなってしまったので、先にそこだけ記載しておきます。

DVDは何を何歳で見せていたのか残っていないので感覚で記載します。英語未経験からポツッとアウトプットが出始める2才まではとにかく楽しい音楽番組を見せていた感じです。
バーニ中心でDVD100枚程度とwiggles10枚、エルモワールドっていうのかな?、ララッララ、ララッララ、エルモソングっていうシリーズ20枚程度、バックガーディヤンズ? ペンギンが歌を歌うやつ20枚程度、プレイスクールを少々、など歌って楽しいという番組中心で、一緒に真似をしたり、真似できないときには笑ったりとテレビに反応するように努めました。
DWEはまだキャップは始めずに、CDで歌を覚えることが中心でした。

2才半位になると、いよいよ米国出発に向けた仕上げをしなくてはなりません。会話中心のDVDに切り替えました。ドーラ60枚くらい、ディエゴ20枚、ブルーズクルーズ30枚くらい、DWEではZAMを繰り返しました。
テレビの主人公と一緒にストーリーを展開していくものが中心でした。リモコンを手元において、子供のペースにあうよう、一時停止・再生を繰り返し、ストーリーに入り込めるように調整しました。

これで、センテンスでやり取りができるようになったと思います。
2才11ヶ月くらいで一旦渡米し面接をして3才からお世話になれるというところまでいきました。

これで家内には負担をかけることなく、米国に子供と住んでもらえるものと思っていました。
が、しかしそうならなかったのです。

段々、寝られそうになってきましたので、今回はここまでにします。
長文メモになりそうで、すみません。

  

2015年07月26日

メモの書き残し その1

どこかに箇条書きでメモがあったはずでしたが、今日は暑くて眠れないので、昔のことを書き留めることにしました。最後まで行きつかないと思いますので、その1としておきました。苦悩の幼少期からです。続きはボチボチと続ける予定です。

子供が産まれて普通に過ごしていたのですが、一歳半くらいになったとき、家内が思い立ったように突然宣言したのです。
「来年から米国に行ってMBA取ってくる!」
子供はちょうど3才になるから、米国のキンダーガーデンに英語が話せるなら入学可能。一年間で子供が英語で会話できるようにしなさい(言い方は違いますが、ニュアンス的にこんなんでした)。

これまで全く育児英語など考えたこともなく、そもそもようやく子供の口から日本語が少し出てきた頃でしたので、ただ驚いていただけでした。ただし、私は人材育成のプロです。一年間あればできるかも。この日を境に、別世界に踏み込んだ感覚になりました。幼児が言葉を習得するメカニズムの文献を調査し、米国ではどのように親が子供に子供を教えているのか、米国で幼児が見ている番組は何かなど、知識を取り入れるための猛勉強をしました。中でも米国の研究者が行った実験レポートが参考になりました。
その実験とは、テレビ番組をカテゴリ別に分けてどのカテゴリーだと表現力が身に付くかという論文でした。
例えば、セサミストリートのような身近なキャラクターが登場するもの、ドーラのようにテレビの向こうから語りかけてきて答えを求めるもの、バーニ&フレンズのように楽しい曲で躍りながら解決していくもの、これらで表現力と論理力と問題解決力などの違いを区分けした実験でした。その結果、2才になるまではバーニに軍配があるようでしたので、バーニのDVDを集め始めました。
そして、見せ方の違いによる研究を参考にして、とにかく子供と見ながらDVDと同じ動きを真似しました。問題解決力や悲しいときの対応力は弱いという欠点も論文には書かれていたので、少しドーラやセサミも論文に従って使い分けていました。かなりの労力でした。
そして、2才になる頃、うちでやっていたことが、そのままパッケージになっている教材を見つけたのです。それがDWEだったのです。と言っても教材ではなく、会員サービス(イベントやテレフォンイングリッシュ、アクティビティなどをセットにしたメソッド)がそのものだったのです。すぐにこういうパッケージをくれといい、説明を色々とされてもこれは要らない、これをつけてとか、とにかくうるさい客だったかもしれません。進め方もDWEに書かれているやり方ではなく、小さいときの延長で進めました。イングリッシュカーニバルのDVDから始めたのです。一緒に出演者と同じ動きをしながら見せて、復習でソングCDとブックを使いました。順もイングリッシュカーニバルの順なので、ブックやソングの順はバラバラです。それでもこれまでのバーニと同じ方法で進めました。バーニもブックとかアクティビティ教材があるんですよ。これの延長です。
そして、2才半までに論文通り進めて会話ができるレベルに仕上げたのです。

ここから、さらに加速するように教材チェンジしました。論文に会話が出始めたらドーラ形式が推奨されていたからです。
DWEの使い方もここで大きく変更です。
DVDもドーラとブルーズクルーズに切り替え、DWEはZAMが中心です。
ちょっとここまでつらつら書いてきましたが、どこかにメモが残してあるはずなので、一旦きって、また後日に続きを書くことにします。
家にあるDVDで、wigglesやplayschoolなど飛ばしたものがいくつかあるので、ちょっと確認します。
まあ、こんな感じで突然始まったのでした。
  

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