2020年07月16日

私が脳梗塞になった日の記憶

ぼくが脳梗塞になった日
その日は、心臓の心房細動という症状を止めるため、電気ショックを受けていた。もちろん、ワーファリンという薬で、血栓が無いことを確認して実施された
夜に、胸のやけどと、利尿剤により、喉が渇いて、水を求めて、病院内を歩いていた。炭酸水が飲みたく、地下売店前の自販機でお金を入れた。すると、急にふらついて、後ろにすごく強く引っ張られる感じでよろけ、後ろの壁に、激突して、左腕で壁をバーンと叩いて倒れてしまった。あまりにも衝撃音が大きかったので、防火扉だったのだと思う。あまりにも大きい衝撃音だったので、助けても言わないうちに、皆が集まってきた。先生が脈拍を取り始めたが、意識もあって、安心していたようだった。私はまったく力が入らず、落とした財布も携帯電話も拾えなかった。やがて、心臓の主治医が駆けつけ、今から、脳に飛んだ血栓を引き抜いてくれる先生に診てもらうから、大丈夫だと言われた。病院内から、救急車で別の病院に搬送するからもう少し頑張ってと言われた。私は、ただ、ボーッと何が起きたのかもわからず、寝ていただけでした
すぐに、女性の声で、せんせーいと叫ぶ声がした。私は、なぜか、起き上がれなかった。先生が駆けつけ、床に座らせてもらえた。
自販機にお金を入れたことが、ずっと不安だった。まだ購入ボタンは押していない。先生に自販機で水を買おうとしてただけだといい、衝撃音が出たことをとりつくろうとしていた。
ヤバい、壁を壊したかな?それくらい、後ろに引っ張られる感じでよろけました。
看護師さんたちが集まり、向こうの公園に、ドクターヘリが来ているから、見に行かない?と、私の救急車より、ドクターヘリに興味を引かれたようでした。
次の病院で、手術を受け、そのまま、ベッドに寝かされた。頭に管が付いている。触らないでと言われた。脳梗塞手術して、途中で血管が破れて、更に悪いことに、くも膜下出血になったことを知らされた。左腕は固定されていた。倒れたときに、手をついて、骨折したかも知れない、とのことだった。やがて目が覚め、生きていることに喜びました。
先生が回診でやって来て、足をあげてというので、全身の力であげようとしたが、動きません。
同様に、左腕も動きません。
私は、この時、脳梗塞で左足と左腕が動かないことを理解しました。なぜ、動かないのだろう。
絶望的な体に、憂鬱になってきた。看護師さんとの会話が唯一の楽しみだった。会話で気を紛らわしていました。
先生が回診で脳梗塞の血栓を引き抜く際に、血管が破れたと聞いた。でも、足が五センチくらい上がると、いいねえと言われたけど、いいはずもなかった。

食事の時間に、ベッドに起き上がらせてもらい、オーバーテーブルでエプロンつけて食事になった。
左腕が使えないので、全てスプーンで食べていた。看護師さんが、ときどき、口に運んで、ペースを作ってくれた。
僕は幸せだった。
やがて、歯ブラシとうがい受けが出てきて、歯磨きした。
頭の管に絶対触るなと、バルタン星人のような手袋が付けられた。もう、かゆい場所もかけない。
洗髪は、看護師さんがしてくれるが、オムツを下にひいて、そこで洗う感じだった。
私は、不自由な体になって、悲しかった。遠方から、いとこが来てくれた。オヤジもおふくろも来て、何年間も会っていない弟が来てくれた。能出血で倒れたじいさんと同じことしかできず、じいさんは、こんな感じだったんだと、初めてわかりました。
オヤジも左手がグーのままで、
こういうことかと理解できた。
やがて、転院でリハビリに集中することになった
朝から順番に、部屋までリハビリセラピストが迎えに来てくれた。
私は車イスなので、乗せていってくれるのです。何で、リハビリする人がここにいるってわかったのか、不思議だった。
歩けないので、セラピストが来たら、トイレをお願いした。リハビリイコール、トイレに行けると、楽しみだったです。
車イスから、トイレ便座に移乗する訓練をした。
うまく出来ません。移乗出来ないと、看護師さんがトイレに連れて行けないので、一生懸命練習した。
車イスから移乗できるようになり、ナースコールで夜もトイレに行けた。
夜中に押すと、全力疾走で来てくれた。ギリギリセーフで、便を
トイレで済ますことが多くなった。念のためオムツをつけるようになった。
リハビリでは、ベッドから、立ち上がる訓練ばかりした。
はじめは、立ち上がりが、難しく、ふらついていた。
歩行訓練は、後ろにセラピストがぴったりついて、支えてくれた。
僕は、やっと歩行できた喜びで、一杯だった。やがて、発声練習で、口のリハビリ注意力の訓練をしました。手は、相変わらず動かない。心不全で転院して、新しいリハビリが始まった。水頭症の手術で、長く寝てたので、足が動きにくくなっていました。手の骨折は問題ないと、やっと、左手のリハビリが始まりました。電気ショックをして再発を避けるように、ヘパリンを点滴して、腕のリハビリが始まりました。ようやく、腕が動くようになった。
腕が上がる。動かないのは指先だけだ。リハビリ専門病院で、歩行の安定性が出たとこで退院。大阪府に異動して、リハビリがなくなった。私は、なんのために、大阪府に来たのか?リハビリがない。
誰も真剣にリハビリさせようとしてくれない。大阪府で私は終わるのか?悲しかった。
大阪府になぜいるんだろう?
きっと治療できるからだ。そう信じて、リハビリを自費リハビリでやってみます。
コロナが避けられ、生きているだけマシだ。手も治るといいな。そのために、神が私を大阪府に招いてくれた。信じよう、自分の運命を。治るために、大阪府に来たんだ。大丈夫だ奇跡は起きる。
歩行訓練でセラピストは当たり前体操を歌うが出来ない。右足出して、左足出したら、倒れる♪でした。ここから、装具をつけたり、杖を使って歩行訓練です。
おかげで、歩行は、健常者と同じように歩行出来ます。
介護認定員さんが、車イス生活だと判断して要介護4になりました。まだ、介護サービスのリハビリが始まりません。
ケアマネージャーと名乗る方が、自宅訪問して、手のリハビリに向けて、受診を予約するようですが、まだ、リハビリしていません。自費リハビリをやってみます。これしか、リハビリ方法がない。大阪府で治すつもりで、なんのために来たんだ!と葛藤する日々、とてもつらいです。
リハビリしたい。







読んで下さいましてありさて、ありがとう。
    



リハビリ病院を渡り歩き、大阪府にやって来ました。
大阪府に来てから、一度もリハビリしていません。
市役所の窓口に聞いても教えてくれない。
リハビリするために、大阪府に来た。
来なければ、リハビリできたのに、
大阪府に来てからリハビリしていません。
リハビリ出来るってワーカーさんに言われてやって来たのに、リハビリ無いよ!
騙された?心がすさむだけ。
家族のことを考える気持ちにもなれない。
リハビリさせてくれと、どこに行けばいいんだろう。
リハビリセンターで断られているから、
どこも無いかな?
救急医療センターや大きな大学病院にも、心臓が見られないからと断られます。
やっぱり、大阪府で私の心臓を診られる医師がいないし、リハビリもどこもさせてくれない。
私はどのように、復帰していけばいいのだろうか?
ワーカーさんがほしいです。こういう社会なの?
支援を受けたいです。






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